なおえもん55 ~人生悪あがき~

人生100年時代を「独身&子なし」女がどう生きるか

緊急事態宣言あけての久々ライブ

昨日は久々のライブでした
昨年と今年に関しては、コロナの影響で
当日まで開催できるかどうかわからないし、告知もできないしで
お客さんは最少人数
我々も今年は3月、6月、10月と3本しかやっておらず
ステージの感覚を忘れないためのリハビリみたいなもんです
(コロナ前は月2ペースでした
昨日も3組のうち1組が当日ドタキャンになり、まさかの2マンに
なんかSNSに「ごめんなさい、自分の弱さに涙が止まりません」って(ちなみに30代男性バンド
ファンからいっぱい「いいね」され、励ましコメントもらってましたが
謝るならこっちに謝れよ、なんか理由言えよって感じです(笑
当日では曲数を増やすこともできず
(うちは打ち込みを使っていてト―タルでシステム組んでるため)、
MCもやらないので、きっちり35分やりました
ちなみにもう一組はがんばって曲数とMCを増やしてましたが
どう見てもやらない方がよかったと感じたので
あんまり慣れてないことはするもんじゃないなと思いました

あと、ひっさびさに泥酔してる人たちを見たなあ
この1年半、居酒屋に行くこともなかったし、
ライブハウスでもお酒の提供はなかったので
珍しいものを見た気分
うるさいわ、マスクせずに大声で話しかけるわ、からむわで、
こんな風景でまた溢れるくらいなら、
今までの緊急事態宣言も悪くないなと思った次第でした

50代になり、早寝早起き生活になった私にとって
正直、ライブが21時で終わってくれるのもすごくありがたくて
以前みたいな23時撤収、24時から打ち上げ、みたいのはもう無理だ(汗
先週末も秋晴れですがすがしかったので
朝から近くの河川公園を散歩したり、河原のほとりにあるオープンカフェでお茶したり
イベントの仕込みをやってる人たちと話したりしても
まだ10時で得した気分
オールでイベント、とかまったく無縁になっちゃったけど
こういうのを幸せと思う私も、歳をとったんだなあと思います

痛みと痒み、ガマンできるのは?

以前も書きましたが
腰から脚にかけての神経痛がひどく(坐骨神経痛とはまた違うみたい
運動器カテーテル手術を受けてみたけれど
日によって調子が良い時と悪い時があり、
ここ1週間はまったく眠れない日が続いています
横になると(眠る姿勢)、臀部から太腿にかけてがズキズキ痛み
たぶん1分に1回は寝返りをうってると思う
平均の睡眠時間、1時間
テレワークだからなんとかやれてるけど
頭の回転がかなり鈍っている気がします…

土曜日の病院まであと2日だけど
今日はちょっと限界を感じるので
鎮痛剤を飲んでみようと思う

がしかし、私は鎮痛剤アレルギーです
効くことは効くのですが、体中のやわらかい部分に蕁麻疹が出る
そのため人生で鎮痛剤を飲んだのは20回もないかもしれない
脇とか、お腹とかお尻とか、一番多く出るのは顔で
特につらいのは目の周り一帯
皮膚が薄く、美容的にも絶対にかいちゃいけないから拷問です

痛みか、痒みか

これ、究極の選択
でも今日は、まだ痒みの方がマシな気がしてしまう

どうかどうか寝られますように

ペンの力

広報で特集記事を組む時は
ヒアリング、企画書づくりなど念入りに行ってから取材に臨みます
会社の業種柄、技術に関する特集がほぼ9割で
超文系の私は、その内容を理解することに毎回苦労しています

広報で特集を担当するようになった最初の2年間は、
毎回胃に穴があきそうなくらいプレッシャーがありました
エンジニアは専門用語をバンバン使うので
話が分からない…書けなかったらどうしよう…という恐怖で夢にまで見るくらい
ただ、その時はまだ若かったので、現場に何度も足を運び
「教えてください、お願いします!」を繰り返していました
そうすると現場の人たちがだんだん親身になってくれるようになり
今度は逆に「この人たちに恩返しするためにも、いい記事を書かねば!」
というプレッシャーで、結局のところ、常にプレッシャーとの戦いです(笑

しかしこれも経験で、自分にも技術の知識がたくさんついて
業界全体の動きもある程度頭に入れておくことで
どんな取材でも「書ける」という自信は持てるようになりました
業界の動きというのはすごく重要で
「アップルはこういう動きですよね」「台湾の半導体は…」といった会話ができると
「コイツわかってるな」と相手がノッてきて饒舌になり
裏話、本音など、普段絶対に聞くことのできないエピソードがたくさん聞けます
そして、オフレコは出さずに相手の想い(本音)を汲み取った完璧な記事が書ければ
絶大な信頼を得ることができますし、読者の評判が高ければ高いほど
「これからはこの人に記事を書いてもらいたい」と
どんどん情報が入ってくるようになります
ペンの力ってすごいんですよ

思い返すといろいろ蘇ってきた!
これ今後シリーズ化します、自分の思い出用(笑

最近は自分自身が特集を持つことは少なくなってきましたが
いざ自分にくるものは「かなり影響力の大きいもの」なので
「お、おう…」とひるむこともあります
コンスタントに書いてないことによって腕が落ちてないか
書けなくなっていないか、というこれまでとは違う恐怖があり
なんかこう、ライトなインタビュー記事もたまにはやりたいです(部下ちゃんの仕事ですが
ブログは楽しいですね、プレッシャーがないので

もっとさかのぼると、私は小学校4年生から高校3年生まで
読書感想文が、毎年学校代表に選ばれていて
年を追うごとに、「学校代表だから賞をとらねば」
というプレッシャーに悩まされるようになりました
変な話、中学くらいになると、書く前から学校代表に決まっていて
原稿用紙を前に、一日中何も書けない、という苦しい日々もありました
当時はネットもありませんし、誰も頼れないし、周りは期待するし、子どもだしで
(親もプレッシャーをかけるタイプでした…
感情が爆発して、自分で髪をジャキジャキ切ってしまったこともあります
後で直してもらったらモンチッチみたいになっちゃいました
その頃の記憶が今も鮮明にあって
私がどんなに経験を積んでも「書けないかも」という恐怖を感じるのは
これがトラウマになってるかもしれないとさえ思います

しかし、しんどくても、
自分が書き上げたときの喜び
取材相手からありがとう!と感謝されたときの喜び
たくさんの反響があったときの喜び
これを味わっちゃうと、もうやめられません

私の広報人生、順調にいけばあと9年ですが(定年まで異動なしとして
特集記事だけはずっと担当していたいなあと思っています

20年来の"親友"

最近パートナー君の話題が多い中で
20年も付き合ってきてなんで結婚してないんだろう?という
素朴な疑問がわくと思います

実は、20年、というのは友だち期間も含めていまして
最初出会った頃(30歳)はお互い「既婚」でした
で、私がその3年後くらいに離婚し、その後パートナー君も離婚
その間は「親友」という関係で、お互いの悩みを聞いてもらっていました
しょっちゅう電話したり、二人で飲みに出かけることも多かったのですが
パートナー君には「離婚の傷心につけこむことはしたくない」という気持ちがあり
私も私で、元ダンナが若い女性とひっついたトラウマで「同じことはしない」という
意地みたいなものがあり、その頃は"仲が良すぎる親友"でした

その後、ちゃんと付き合うことになったものの
パートナー君にはお子さんがいて、ものすごいパパっ子だったこと
かつ40歳くらいで将来の夢(今の事業を海外に拡大して移住すること)が明確になったこと
私も、自分自身が結婚に向いてないとわかったことや
仕事や音楽がすごく楽しくて、子どもを授かりたいという気持ちがなかったことから
「結婚」という考えには至らず、かつお子さんたちの気持ちなどを考え
10年くらい周りにも内緒にしていました
ということで、オープンにしたのはここ5年くらいなんです
(お子さんたちが成人を迎えたこともあり
だからデートとかがまだ初々しいんですw

周りにも内緒にしている期間は結構キツかったですね
なにがって、彼に寄って来る女性の多いこと多いこと
それはいつか機会があったら書きたいと思いますが
なんせ若い子より年上の女性が大好きなので(私と彼は同い年
私たちみたいな初老世代(40~60代)は、男性が心底うれしそうに接してくれたら
みんなファンになっちゃいますよねえ
たいがいの女性を「すごいきれいな人!」って言いますし(笑

なのでオープンにしたときは、潮が引くみたいに去っていく…というより
みんな私に意地悪でした…ま、今は大丈夫ですが

こんなふうに、この歳になると
いわゆる「夫婦」ではない(籍が入っていない)カップルが
私の周りには結構います
みんな、いろんな事情があって、誰一人として同じでなくて
なので、一概に「いい」とか「悪い」とか言えないし
そもそも「普通」なんてないから、「おかしい」と言われる筋合いもない
まあいろいろ言われることもありますが
いろいろな生き方が選べることは幸せなのかもしれません
すべて自己責任ですけどね
自分が信じた道を進めばいいと思います

ニコイチな二人

今日は元パートナー君のお話です
家で考えてたときは滅入ることが多かったのですが
遠くまで旅した開放感からか、プライドや意地も消え
夜、私の方から連絡しました

パートナー君に「未来を約束できるパートナーにはなれない」と言われて
私がすんなり受け入れることができたのは
これまで100%自分をさらけ出して彼と向き合ってきたからで
「これでダメなら仕方ない」と思えたからです
ただ一つ、これまでいろんな問題を二人で乗り越えて来た中で
「ずっと一緒にいよう」という会話も何度もしてきたのに
彼が私に「都合のいい嘘」をつくことは絶対にないと信じているので
「あれは何だったの?」と、どうしても確かめたくなったのです

結果、お互いがいろいろな誤解をしていることがわかりました
彼が本当に言いたかったのは
 自分がこれから海外でやろうとしていることは
 成功するかどうかわからないし、リスクも伴う、
 人種差別を受ける可能性もある、そんなことを考えれば考えるほど
 なおえもんの第2の人生を狂わすわけにはいかないから、
 「将来を約束できない」と言った
 今後3年~5年経って、もしうまくいっていたら
 「こっちにおいで」と呼ぶつもりだった
 もちろんその間に、なおえもんに新しいパートナーがいたら
 受け入れる覚悟もあった
とのことです

私が誤解をしてるだろうなあということはわかったものの
「将来を約束できない」というのは事実で、さらに私が
「将来を一緒に創っていける人を探す」と言ったため
このまま身を引こうと思っていたそうです

でも、20年間真剣に付き合ってきた末が
こんな別れ方のはずがないということは、やっぱりお互い思っていて
どこかでもう一度話し合わなくてはいけない、とは感じていたようです
でも、約束を撤回できない自分が連絡するのはダメだろうと
私からの連絡があるまで、胸に秘めておくつもりだったみたい
堰を切ったように夜中の2時過ぎまで、いろいろと話しました

男の人って、どうしても「男たるもの女を守らねば」って思っちゃうんですかね
私は全部捨ててパートナー君の海外事業に付き合うつもりはないし
なんなら、彼が万が一失敗しても私が養うくらいの覚悟はあるんですけどね
そのあたりの話もこれまでしていたはずなのに、
あの日の彼はどうも「約束」という言葉に敏感に反応し、
「なおえもんの人生も背負って、かつ新規事業の成功まで約束できないよ」
という拡大解釈をしたようです
私は私で、「彼のめざす"自由"に、私の存在は今後邪魔になるんだな」
と拡大解釈していました

難しいですね、男と女ってどんなに話し合っても
分かり合えることはないような気がしました
でもはっきり言えるのは、私が私らしくいるためにはこの人が必要だということ
それにはもう抗えません

こんなポンコツカップルなので、これからもまたいろんな問題があると思いますが
(なんせどっちもめんどくさい性格・汗)
私たちらしく歩んでいきたいと思います

なおえもん伊豆おひとりさま旅

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1泊2日で東伊豆を旅行してきました
2日間とも気持ちの良い秋晴れのドライブ日和
すみません、ブログにあげるかも、と言っていましたが
スマホでやるのめんどうで…(ブログはいつもPC派)
事後報告になりました

諸所にコロナの影響があって
まず新東名は、私の前後に車の存在が確認できないくらい空いていました
長泉沼津で高速を降りてからもスイスイ
修善寺からの伊豆スカイラインは対向車さえなく、
めっちゃ快適でした

旅館はそれなりに人が入っているようでしたが
私が泊まったところも半分以下、という感じかなあ(連休じゃなかったし
女性限定お一人さまプランってことで、ホント至れり尽くせりで
お部屋は最上階、内風呂付き
海の見えるテラスではいつでもお酒や飲み物をいただけるし
アフタヌーンティはシェフが焼いたパンケーキデザートを出してくれるし
お風呂上りもビールやスポドリ、ところてんのサービス
ナイトスイーツタイム(デザートのビュッフェ)まであった!
夜のディナーは鉄板焼きコースを頼んだので、海の幸とお肉のフルコースで
なんと朝もこの場所で、オムレツやベーコン焼き、フレンチトースト等を
目の前で作ってくれました
(まさに朝食のフルコースといった感じ)
お風呂は本館の方も利用すれば、全部で5ヵ所(露天です
貸し切りにできるところもあったけど、貸し切りにしなくても
自分が入った時間帯はほぼ貸し切りでした(すごい開放感!
さらには、エステスパと、翌日お昼のフレンチ料理教室も込み
最高かよ!

お部屋からの景色はこんな感じで、一日中見ていても飽きませんが

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テラスで本を読みながら過ごす時間も格別でした
(私は持参しましたが、本もたくさん貸し出ししてます)

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まさに、旅の目的である「日常を忘れて心身ともにリラックスする」ことを
本当の意味で体感できた二日間でした

これって、コロナ禍の今しかできない贅沢なわけで
旅館の方たちの企業努力だと思います、本当に感謝!
お風呂で一緒になった常連さんだというマダムは
「コロナ前まではインバウンドですごい人だったのよ。
 正直マナーも酷くてね…最悪だった。だから今が一番好き」
と仰っていました
旅館側からすれば、インバウンドの団体客は大歓迎
でも、インバウンドが復活したらこの静けさは失われてしまうから
もう少し感染者が減って、ワクチン接種も広がったら、
国内旅行を率先して応援していこう!という気持ちになりました
年内、あと1,2回は旅行したいな


そして私は、ここ1ヵ月考え、気持ちを整理してきた中で、
次の新たな道に進むために、どうしてもクリアにしておきたいことが見えてきたため
その日の夜に"元パートナー君"へ連絡しました
長くなったので、これは明日以降にします
では!

なおえもん、足るを知る

不眠症の薬をやめてから約4ヵ月、順調だったんですが
また眠れなくなってきちゃいました…
どんなに体を酷使しても眠くならない

なので、お誕生日Weekということもあり
明日から1泊2日で伊豆へ旅行してきます
県をまたぎますが…車移動&一人旅なのでお許しください(ワクチン接種済です!
図書館で「るるぶ」(久しぶり)や、おもしろそうな本を何冊かかりて
ちょっと気分転換に
私の場合、場所がかわるとさらに眠れなくなっちゃうんですが(汗
一日中海でも見ながらぼーっとしてればリラックスできそうです
気が向いたら写真アップします

話しは変わり、
週末、久しぶりにバンド仲間のM嬢から連絡がありました
会うのは2年ぶりくらい?
「今あなたに会いたい私がいます」なんて書き方にちょっとドキっとして
「今日会おう!私はいつでもいいから」とすぐに連絡し、
うちでお茶することに

予感は的中で
久しぶりのM嬢はもともと細い体がさらに細くなっていて
腰まで伸ばしていたきれいなロングヘアをばっさり切り、肩にかかるくらいのボブに…
と思ったら、抗がん剤でウィッグなのだと教えてくれた
そう、彼女は癌を患っていました

友だちが大変な状況にいたことをまったく知らずにいたなんて
改めて、人に会えない環境を作ったコロナをうらめしく思いましたが
「会いたい友だちもいないし」と人に会わない状況を作ったのは
他の誰でもなく私なわけで
そんな自分が孤独だ、一人で寂しいなどと
どの口が言ってんだと、心底情けなく思いました

がしかし、落ち込んでいる場合ではない
彼女の抱える孤独や不安が少しでも紛れるなら
いつでも会いに行くし、一緒にいると約束しました
神様はこのために私に"ひとりの時間"を与えたのだろうか

自分より不幸そうな人を見て、自分の幸せを確かめめる、
なんて言い方は好きではありませんが
「足るを知る」ということを実感した日

彼女が「誕生日おめでとう」とくれた花束を見るたび
来年の彼女の誕生日には、歳の数だけいっぱいきれいな花を贈りたい
そして「生きててくれてありがとう」って言いたい