なおえもん55 ~人生悪あがき~

人生100年時代を「独身&子なし」女がどう生きるか

ペンの力

広報で特集記事を組む時は
ヒアリング、企画書づくりなど念入りに行ってから取材に臨みます
会社の業種柄、技術に関する特集がほぼ9割で
超文系の私は、その内容を理解することに毎回苦労しています

広報で特集を担当するようになった最初の2年間は、
毎回胃に穴があきそうなくらいプレッシャーがありました
エンジニアは専門用語をバンバン使うので
話が分からない…書けなかったらどうしよう…という恐怖で夢にまで見るくらい
ただ、その時はまだ若かったので、現場に何度も足を運び
「教えてください、お願いします!」を繰り返していました
そうすると現場の人たちがだんだん親身になってくれるようになり
今度は逆に「この人たちに恩返しするためにも、いい記事を書かねば!」
というプレッシャーで、結局のところ、常にプレッシャーとの戦いです(笑

しかしこれも経験で、自分にも技術の知識がたくさんついて
業界全体の動きもある程度頭に入れておくことで
どんな取材でも「書ける」という自信は持てるようになりました
業界の動きというのはすごく重要で
「アップルはこういう動きですよね」「台湾の半導体は…」といった会話ができると
「コイツわかってるな」と相手がノッてきて饒舌になり
裏話、本音など、普段絶対に聞くことのできないエピソードがたくさん聞けます
そして、オフレコは出さずに相手の想い(本音)を汲み取った完璧な記事が書ければ
絶大な信頼を得ることができますし、読者の評判が高ければ高いほど
「これからはこの人に記事を書いてもらいたい」と
どんどん情報が入ってくるようになります
ペンの力ってすごいんですよ

思い返すといろいろ蘇ってきた!
これ今後シリーズ化します、自分の思い出用(笑

最近は自分自身が特集を持つことは少なくなってきましたが
いざ自分にくるものは「かなり影響力の大きいもの」なので
「お、おう…」とひるむこともあります
コンスタントに書いてないことによって腕が落ちてないか
書けなくなっていないか、というこれまでとは違う恐怖があり
なんかこう、ライトなインタビュー記事もたまにはやりたいです(部下ちゃんの仕事ですが
ブログは楽しいですね、プレッシャーがないので

もっとさかのぼると、私は小学校4年生から高校3年生まで
読書感想文が、毎年学校代表に選ばれていて
年を追うごとに、「学校代表だから賞をとらねば」
というプレッシャーに悩まされるようになりました
変な話、中学くらいになると、書く前から学校代表に決まっていて
原稿用紙を前に、一日中何も書けない、という苦しい日々もありました
当時はネットもありませんし、誰も頼れないし、周りは期待するし、子どもだしで
(親もプレッシャーをかけるタイプでした…
感情が爆発して、自分で髪をジャキジャキ切ってしまったこともあります
後で直してもらったらモンチッチみたいになっちゃいました
その頃の記憶が今も鮮明にあって
私がどんなに経験を積んでも「書けないかも」という恐怖を感じるのは
これがトラウマになってるかもしれないとさえ思います

しかし、しんどくても、
自分が書き上げたときの喜び
取材相手からありがとう!と感謝されたときの喜び
たくさんの反響があったときの喜び
これを味わっちゃうと、もうやめられません

私の広報人生、順調にいけばあと9年ですが(定年まで異動なしとして
特集記事だけはずっと担当していたいなあと思っています